キャリアの始まり ― 運用保守+情シス的な役割
ハローワーク経由で就職支援講座「ネットワーク・サーバ構築講座」を受講し、転職。喫茶店面接から客先常駐へ。ユーザ管理、サーバ運用、問い合わせ対応、PCセットアップなどを担当。
今となっては笑えるが、面接は会社のオフィスではなく、なぜか喫茶店やファミレス。2回目には『すぐ客先常駐できますか?』と聞かれ、そのままスタートした。
苦戦と成長の第一歩
議事録は赤ペンだらけ、レビューは指摘まみれ。
「開発環境舐めてるのか」と言われ猛反省。
Windows系雑誌を定期購読し、休日も勉強。
少しずつ慣れて、構築業務にも関わるように。
ブラック環境の洗礼
- 孫請けで給与が低い
- 賞与・残業代なし、社長は専属運転手付き
- PCに「給与階級表」が入っていてランクがバレバレ
- 丁稚奉公のような働き方
それでもこの経験が土台になった。派閥争いで先輩が転職し、「勝ち馬に乗ってくださいね」と言い残して去っていった。
先輩からの学び
- 「知識なんて、知ってるか知らないかだけ」
- 「資格より実務。スカウトされるのは経験」
- 「数年同じ会社にいたことはない」
通信キャリアでの経験
大手キャリア案件に参画。
ナンバーポータビリティ開始期、スマホ前夜。携帯からインターネット通信が始まった時代。先輩はその接続環境の開発者だった――まさに技術の最前線。
「インフラならインド行け。英語覚えろ」
― 当時所属SES会社の副社長(某有名会社の創業者)、競馬帰りの一言