三刀流エンジニアとして駆け抜けた大手SIerグループ時代

何でも屋の現場力と“自走型”の技術魂
三刀流エンジニア
情シス、インフラエンジニア経験談

🎬 導入

一般的なエンジニアは、特定の専門領域を担当することが多いものです。
しかし、大手SIerグループに在籍していた当時の私は、“三刀流”として、まるで何でも屋のように幅広い業務を同時並行でこなしていました。
いわゆる「一人情シス」に近い状態を、複数人で分担しながらも、実質的には一人で回していたような感覚です。
今振り返ると、その経験こそが、現在のキャリアの土台になっていると感じます。

⚔️ 三刀流のレア経験

当時の私は、以下の3領域を同時に担当していました。

  • データセンター運営(ハウジング/ホスティング)
  • SIer案件の構築・設計
  • 情報システム部門の業務(ヘルプデスク~PC入替~セキュリティ対応)

大手では二刀流ですら珍しい中、完全に三刀流だったと思います。
ユーザーからの問い合わせがあれば、Excelのトラブルから複合機の不具合、ドライバーのインストールやアップデートまで対応する、まさに“何でも屋”の状態でした。

🧱 データセンター運営で担当した業務例

  • ラックの組み立て・設置
    サーバーやネットワーク機器の物理設置に加え、ケーブル配線やラベル管理も行っていました。
  • 回線調達・開通調整
    キャリアとの折衝、納期調整、帯域要件の確認、L2/L3回線の選定などを担当しました。
  • MDA(Main Distribution Area)までの回線管理
    配線ルート設計、MDF/IDF間のパッチ管理、クロス接続の調整などを実施。
    ※MDAとは、データセンター内の主配線エリアで、回線の集約・分配を行う場所です。
    MDF(主配線盤)やIDF(中間配線盤)は多くのビルに設置されており、情シス案件では障害対応時に探し回ることもありました。
  • 冷却設計とラッキングルールの標準化
    INTEROPなどのセミナーで「コールドアイル/ホットアイル」設計を学び、実際のラック配置に活かしていました。
    ※コールドアイルとは、サーバーの吸気面を向かい合わせに配置し、冷却空気の通路を形成する方式です。ホットアイルは排気面を向かい合わせにすることで、熱を効率的に排出します。
  • その他の設備管理
    電源容量の確認、IPKVMの調達・設定、シリアルコンソールの導入なども自ら行っていました。

🧠 本当に“何でも屋”だった業務範囲

担当領域は、まさにフルスタックでした。

  • インフラ:監視、バックアップ、プロキシ、ウイルス対策、メール、DNS、DHCP、AD
  • ネットワーク:スイッチ、ルータ、ファイアウォール、無線LAN
  • サーバー:ストレージ、ジョブ管理、syslog、DB、DBレプリケーション
  • その他:プリンタ、標準化、後輩指導、スキルマップ作成

通常は分業される領域を、ほぼ一人でこなしていました。
チームは2〜5人編成でしたが、自分が単独で回していたことも多かったです。

🔍 ベンダー任せにしない“自走型”の検証文化

製品導入の際は、ベンダーに丸投げせず、自分たちで検証環境を構築して評価するのが当たり前でした。
むしろ、それが楽しかったのです。

たとえばファイアウォールなら、JuniperのSSG5など最小構成の廉価版を使ってまずは試してみる。
「高価な本番機をいきなり買う前に、まずは小型機で遊んでみよう」というスタンスでした。
この“遊びながら学ぶ”文化が、現場の技術力を底上げしていたと感じます。

ルータやスイッチも、限られた台数でどう検証環境を整えるかを考える力が鍛えられました。
もちろん、ベンダーに問い合わせたり、評価機を借りたりすることもありました。
高額商品をまとめて購入すると特価割引が効くこともあり、見積書作成も長年担当していました(この話はまた別記事で)。

🎮 現場の空気感エピソード

技術だけでなく、現場の文化も独特でした。

新製品が届くと「おもちゃが来た!」と盛り上がる同僚たち。私も新製品が大好物でした。
ドラクエⅨのすれ違い通信をファミレスやバーで楽しむ文化。
フラッピングや障害が発生すると「イベント戦だ!」と笑うノリ。障害対応すら楽しんでいました。
こうした空気感が、重い業務の中でも支えになっていました。フレンドリーで、遊び心のある環境だったと思います。

💡 そこで得た強み

この三刀流経験から得たものは、現在のキャリアの土台になっています。

  • 分業では気づけない横断的な視点
  • デフォルトを疑い、要件ベースで考える癖
  • 標準化・後輩指導で育ったPMO的スキル

技術だけでなく、現場設計や教育支援にも活かせるスキルが自然と身につきました。

🧭 まとめ

“何でも屋”は当時は大変に見えましたが、今の自分の最大の武器になっています。
三刀流経験は遠回りではなく、確かな財産だったと胸を張って言えます。

あなたの、三刀流経験はありますか? コメントで聞かせてください

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